愛するみなさま、こんにちは。
カウンセリングサービスの まえじまようこです。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
アメブロ「恋と仕事の心理学」に投稿しています。

どうして私がセカンドポジションの恋愛を繰り返してきたのか。
そこには私の愛が隠れていました。
自分の中にある愛を見つけられると、健気だった私とつながれるようで、なんだかほっとします。
自分を知るって、とても興味深いことだし大切なことなんです。
我慢することが私の愛し方だった
子供のころの家族との関係は、恋愛に映し出されやすいと言われています。
私が母を助けたくてしてきたのは「我慢」
我慢をすることで、私は母を愛そうとしてきました。
我慢することが愛し方になった私は、うまくいかない辛い恋愛を繰り返すことになります。
「2番目のポジション」を選んでいた私
私が心のことを学ぶきっかけになったのは
「彼の本命になれない2番目のポジションの恋愛」を繰り返していることに気づいたから。
幸せな恋愛を選べばいいのに、どうして辛い恋愛ばかり繰り返してしまうのでしょうか。
自分のことなのに、まるでわかりませんでした。
学び始めたばかりのころに受けたカウンセリングで
「あなたは、自分で2番目のポジションを選んでいるんですよ」そう言われたことを覚えています。
あのときは、頭が「?」だらけになったけれど。
今ならわかるんです。
私には、2番目のポジションが必要だったんです。
だって私の愛し方が、我慢することだったから。
私は2番目のポジションだから、自分から会いたいって言うのを我慢する。
彼から連絡があったら嬉しいから、急でもなんとかやりくりして会いに行く。自分の都合は我慢する。
彼の部屋で、他の女性を匂わせるものを見つけて気になっても、彼に問うのを我慢する。
自分が傷ついていても、自分の思いは我慢して彼と会っている。
私は、自分に我慢をさせて彼に合わせようとすることで、彼を愛そうとしてきました。
我慢するのが愛し方? 我慢は愛とは違うんじゃない? そうかもしれませんね。
私の愛を表現するためには、私に我慢をさせてくれる人が必要だったんです。
我慢という愛し方の始まり
私には一歳違いの妹がいます。
幼いころの妹には病気があって、母はいつも妹につきっきりでした。
覚えているのは、たぶん私が2歳のころ。
一人でトイレができたのが嬉しくて、母に褒めてもらいたくて、トイレから「お母さーん、できたよー」って母を呼んだんです。
何度も呼んだけれど、母は来ませんでした。
きっとあのときから、母は妹のことで大変なんだと私は心に刻んだのでしょう。
褒めてもらいたかったけれど、見ていて欲しかったけれど、私は我慢をしました。
母はいつも妹を抱っこして、妹の痛みがあるところをさすっていました。
私のことも抱っこしてほしい、少しでいいから。
でも私はお姉ちゃんだから、我慢しないと。妹にお母さんを譲ってあげないと。
私が抱っこを我慢していい子でいたら、お母さんはきっと助かるし嬉しいはず。妹も、お母さんとずっと一緒の方が嬉しいはず。
小さな頭で、きっとそんなことを考えていたんでしょうね。
私の我慢する愛し方は、母への愛し方。
大切なお母さんに近づくことを我慢する。
大好きなお母さんを、大好きな妹に譲ってあげたい。
私が我慢したら、みんなうまくいく。みんなきっと嬉しいはず。
そうやって、私は自分の愛し方を築いてきました。
だから私が愛を表現するために、2番目のポジションが必要だったんです。
我慢ができて、大好きなその人を誰かに譲ることのできるポジションが。
「あなたは、自分で2番目のポジションを選んでいるんですよ。」と言われたのは、こういう意味だったんです。
助けることが愛し方の人、支えることが愛し方の人、尽くすことが愛し方の人。
きっと私と同じように、あなたもこうやって愛し方を築いてきたのではないでしょうか。
恋愛だけじゃない、我慢が教えてくれること
私が我慢してしまうのは、実は恋愛だけではありません。
自分が本当に苦しいときに力になってもらいたかった人にも、その人が自分にとって大切な人であればあるほど、近づくことを自分に我慢させてしまうことがありました。
それが私の愛し方だから。
自分の欲しい未来、夢に手が届きそうになったとしても、それを大切に思っているほど、手に入れることを我慢しようとする。遠ざけてしまう。
でも私が我慢することで、相手にも我慢をさせてしまっていたことに気がつきました。
「あなたのことを助けさせてくれない、愛させてくれない」と。
私を待っている未来にも、私を受け入れることを我慢させていたのかもしれません。
その人が、そのものごとが、どれだけ自分にとって大切なものなのかを、我慢してしまうことで気づくんです。
我慢が、私の愛のバロメーターになってしまっていたんです。
我慢を手放してもいい、と気づけた日
心のことを学んでいく中で、我慢しなくても、誰かを助けなくても、自分を犠牲にしなくても、そのままで私は愛されているということに、何度も向き合ってきました。
母はもう私が助けなくても大丈夫だし、妹も元気だし、小さいときから育ててきた「我慢する愛し方」は、私にはもう要らないのです。
夏生まれの私の誕生日に、母が「あなたはひまわりのよう」とメッセージをくれたことがありました。
私が、母にとってひまわりのような存在だったとしたら。
ひまわりの黄色い色は、元気で活発で、無邪気で、楽しくて、明るさを象徴する色だと思うんです。
私は、母の心に光を差す存在だったのかもしれない。
妹を健康に産んであげられなかった母の罪悪感を、私が癒していたのかもしれない。
もしかしたら、私が抱っこしてもらうことを我慢していたから、母も私を抱っこできなくて我慢していたのかもしれない。
もしかしたら、私はいるだけで母を助けていたのかもしれない。
本当は私は、母の希望だったのかもしれない。
もう、我慢する私の愛し方を手放してもいいと思えたんです。
あなたの愛し方に、自信をもって
あなたが家族をどう愛してきたのか。
それが、あなたの恋愛のパターンを紐解くカギになるのかもしれません。
どんなパターンであったとしても、そこにあなたの愛があることに気づいてくださいね。
あなたの愛し方を、あなたが一番に承認してあげてくださいね。
あなたのその愛し方に自信を持ってあげてくださいね。
自分の愛し方を知り、その愛し方に自信を持つことが、うまくいく恋愛の秘訣なんだと私は思っています。
お読みいただきありがとうございました。










